2011年3月19日

ミラーリングはなぜコミュニケーションを円滑にするのか ―fujimonao的見解―

ミラーリングという言葉を知ってる人は多いのだろうか。

相手と同じ仕草をすることで好意を抱いているのだと思わせるコミュニケーションの方法のひとつだ。
他には同調の法則と言われたりするみたいだが、そこは割愛。

さて、なぜこのミラーリングはコミュニケーションを円滑にしてくれるのか?

ふと朝思って色々考えた結果、少しだけ見えてきたので書いてみる。
(心理学に詳しいわけではないのであしからず)


自分は自分に安心する


「結局信じられるのは自分だけだ」

こんな言葉を聞いた、もしくは見たことが過去にあった。
この言葉はとても的を得ている。

人間は他人にまず警戒心を抱く。

口から出た言葉は本当だろうか?
黙っている間何を考えているのだろうか?
自分の考えを否定されたりするのだろうか?

しかし、対面するのが自分だったらどうだろう。

自分の発言が本音かどうかわかるのは当たり前。
自分の思考は自分が一番よく知っている。
自分の考えを、自分は頭ごなしに否定したりしない。

自分は不明点がないからこそ自分に安心する。


文字通り鏡になる


とても面白いと思ったのは、上記の自分は自分に安心するというところ。
そしてそれはミラーリングに繋がるということ。

ミラーリングでなぜコミュニケーションが円滑になるのかという点は、少なくとも以前それが記載された本を読んだ時にはピンとこなかった。
単純に相手に好意を持っていると思わせるコミュニケーション技法なのだと納得した。

今考えれば、なぜそれが好意を持っていることに繋がるのか疑問だった。

私なりの答えは、「自分が自分に安心するのであれば、相手にも自分がもう一人いると思わせて安心させればいい」ということ。
文字通り相手の鏡となって、相手と同じ仕草をすれば無意識に相手は「目の前のこの人は自分みたいだ」と刷り込んで安心してしまうのではないだろうか。

私は昔からミラーリングを自然と使っていた。
勿論今考えてもなんでそうし始めたのかわからない。

もしかしたら、なんとなく「相手は自分と同じだ」と刷り込み、自分で自分を安心させるために無意識にとった行動なのかもしれない。


ここまで長々と書いたけど、これは全て私の考えたものなので心理学とかそういう正しい論じゃないから「そういう考え方もあるんだ」と受け止めてくれれば幸いです。

あと、もしかしたらこれもう心理学とかで結論出てるのかな?
もしそうだったとしても自分でここに至った過程が大事だからメモとして残しておく。

0 件のコメント:

コメントを投稿